DESTINY

歌:松任谷由実 作詞・作曲
1979年12月1日発売 アルバム「悲しいほどお天気」収録曲

ユーミンこと松任谷由実さんはデビュー当時は荒井由実さんとおっしゃっていました。松任谷正隆さんと結婚したので「松任谷」姓になったのですが、ユーミンさんの歌で僕が好きな歌はみんな「荒井」姓時代のものです。と思っていたのですが、僕の勘違いでした。今回、取り上げるに際して調べましたところ、なんと「荒井」姓のときってわずか7曲しか発表していないのですね。なんか、「松任谷」さんになったのは、ずっとあとのように思っていましたが、ヒット曲のほとんどは「松任谷」さんになってからでした。

ユーミンさんについてはハイファイセットの「卒業写真」の回でも少し書きましたが、ユーミンさんは天才です。世の中の若い女性の気持ちを掬い上げることと、心の中に入っていくメロディーを作る天才です。前に紹介しました「ハイファイブレンド」は大学生の時代風景を描いたアルバムですが、学生の気持ちとともに女性の気持ちの揺れを描く天才でもあります。

僕が最初にユーミンさの歌を知ったのは「あの日にかえりたい」や「翳りゆく部屋」という歌がヒットしたときでした。「翳りゆく部屋」の前奏はパイプオルガンではじまるのですが、厳かな雰囲気を醸し出させ、まるで教会にいるような気持ちにさせる歌でありメロディーです。

それに対して「DESTINY」は女性の失恋したときの気持ちを歌っていますが、

♪冷たくされて いつかは
♪みかえす つもりだった
♪それから どこへ行くにも
♪着かざってたのに

♪どうしてなの 今日にかぎって
♪安いサンダルをはいてた

最後の「今日にかぎって 安いサンダルをはいてた」、このオチがなんともいえないっす。人生ってうまくいかないですよねぇ。

この歌と同じ雰囲気を感じるのは「ルージュの伝言」ですが、映画のストーリーを想起させる歌詞になっていて、本当に一本の映画を観たような気分になってしまいます。ユーミンと聴いて僕が思い出すのは作家の田中康夫さんです。田中さんは「なんとなく、クリスタル」でデビューした作家ですが、その田中さんがなにかのインタビューで「学生時代にユーミンの家によく行っていた」と答えていました。

ユーミンの自宅に行っていた理由は、学生が集まってしゃべるサークルのようなものがあり、そこに参加していたからです。なんのためにそんなサークルを開いていたか、というと時代の雰囲気を知りたかったから、と田中さんが答えていました。しかし、ユーミンさんはある新聞のインタビューでは、「たまたま近所に同世代の女学生がいて、自分がたまたま歌手デビューしているときで、大学に行っていなかったので大学生の実態を知りたかったから」と答えていました。

どちらにしても、その時代の若者の気持ちを掬うのは簡単ではありません。人一倍の感受性がなければ聞き逃してしまいます。作詞家の阿久悠さんは、「当人さえも気づいていない心の中を読み込むのが作家の仕事」と語っていましたが、ユーミンさんはそれを実行していたことになります。

ユーミンさんの全盛期はちょうど少年ジャンプの全盛期と重なっているのですが、少年ジャンプが600万部という驚異的な売り上げを上げていた当時、ユーミンさんのアルバムも300万枚売れていました。そのとき、ユーミンさんが少年ジャンプを引き合いに出して「まだまだ伸びしろがある」ような発言をしていたように記憶しています。僕の記憶違いかもしれませんが、それほど勢いがあったのは事実です。

たくさんのアーティストが生まれる中、何十年と第一線で活躍しているユーミンさんはやはり天才です。

それでは、また。

 

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