陽のあたる場所


1981年3月21日に発売された浜田省吾の12枚目のシングル。
作詞作曲:浜田省吾

これまで書いていますように、ハマショーさんは「純愛」と「社会的メッセージ」と「不倫の愛」を歌う名手ですが、この歌は「不倫」を歌った楽曲です。人としては言うまでもなく「純愛」が理想ですが、元来不完全な生きものである人間は「純愛」だけでは収まらない感情を持ち合わせています。悲しいかな、持ち合わせています。

もちろん中には「不倫などもってのほか」と毛嫌いしている人もいないではないでしょうが、如何せんニュースを見ていますと「不倫」がニュースになることは多々あります。かの上野千鶴子先生も「ひとりで我慢できるのが不思議でしょうがない」と語っています。あれほど学識があり、頭のいい人でも複数の異性を好きになることはあるようです。

「いわんや凡人をや」といったところでしょうか。

♪寂しさにたやすく恋に落ちた

と出だすのですが、結婚したにもかかわらず、「寂しさ」に陥ってしまうのが、そもそも大失敗です。とはいいつつ、そういう人多いんですよねぇ。それはなぜかといいますると、それは答えは簡単でっせ。「飽きる」からでやんす。

人間、どんなに高尚な人間もで「飽きる」ってあるんですよねぇ。フフフ…。どんなことにでも「飽きない」人っていませんから。というわけで、人は誰しも「不倫」に陥ってしまう下地を持っているのでございます。ただ、それを我慢できるか否か、にかかっているわけでございます。

ちょっとそこのお兄さん、お姉さん。考えてみてもくだせいな。同じものを食べてたら飽きるでしょ。そしたらたまにほかのものを食べたくなるじゃあ~りませんか。そうした心持のときに、一緒に暮らしている異性とは異なるタイプの異性が現れて、しかも魅力的だったなら、そりゃぁ、あなた胸がときめかないほうが不思議というものでやんす。

これは「いい」とか「悪い」とかの問題じゃぁございません。人間には感情というものがありますので、仕方ないことなのですね。知らんけど。おそらく上野先生はそのことを言っていらっしゃるのだと思います。知らんけど。

ハマショーさんの作詞のセンスの素晴らしさはここに集約されております。

♪僕のもうひとつの愛の暮らしに
♪ふれないように逢うたび二人
♪ふざけてばかりいた

これは完璧に究極の心理学でやんす。人は「見たいものしか見ない」性質があるんですが、こうした性向は、いろいろな場面に現れます。例えば、企業が倒産に至るとき、本来ですと「ヤバくてなにか手を打たなければいけない状況でも、恐怖心で意識的に考えない」ようにすることがあります。結局、それが致命的になりにっちもさっちもいかなくなって倒産の憂き目にあうのですが、手遅れはすべて「見たいものしか見ない」という人間の業によって引き起こされているのでございます。

「ふざけてばかりいた」のも自分の気持ちをごまかすためというほかありません。人間って弱いですよねぇ。でも、現実は必ず目の前に眼前と現れるのでございます。

♪愛だけを見つめ季節は過ぎてゆく
♪愛だけ見つめ悲しみ深くなる

時間稼ぎをいつまでも続けることはできません。ハマショーさんはそれをわかっていますので、最後に

♪愛だけ愛だけみつめ

と書いているのですが、実はそうやってごまかしているのです。今、不倫に陥っているそこの“あなた”。この文章を読んでいるそこの“あなた”ですよ。

気をつけてねぇ。

ほんじゃ。

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