ひとり咲き

作詞・作曲:飛鳥涼 歌:チャゲ&飛鳥
1979年8月25日に発売

今回書くにあたり調べてみて知ったのですが、チャゲ&飛鳥って元々は7人バンドだったんですね。知らなかったぁ。この二人がかの有名な「ヤマハポプコン」出身ということは知っていましたが、僕は勝手に、主催者のヤマハさんが二人を組み合わせたのだとばかり思っていました。

2000年代初頭に人気を博したCHEMISTRYさんは、オーディションで残った人同士、堂珍嘉邦さんと川畑要さんが主催者のアドバイスで誕生したそうですが、その記憶が勝手に残っていたのかもしれません。

それはともかくとして、チャゲ飛鳥さんのヒット曲は「すべて」と言っていいほど飛鳥さんが作っていますが、それでも二人の仲がよかったのが不思議な気がしないでもいました。しかし、バンド時代を経ての二人デビューというのが肝だったのですね。「絶対に売れたい」という青春のほとばしりが二人の仲の良さの根本にあったのではないでしょうか。

また、1991年に「SAY YES」がオリコンチャート13週連続1位を獲得し、また「YAH YAH YAH」などたくさんのヒット曲を生んでいた絶頂時代は、日本だけではなくアジアでも大活躍していました。当時は各賞を総なめしていたといっても過言ではないほどの活躍でした。この頃は忙しすぎておそらく「仲たがい」をする暇もなかったのでしょう。ここでわざわざ「仲たがい」という言葉を使ったのは、のちに二人の仲にヒビが入るからです。

コンビと言いますとお笑い芸人みたいですが、二人一組で出てきて、途中から解散ソロになるケースのほとんどは「仲たがい」です。そして、そのほとんどの理由がヒット曲を作る人とそうでない人のすれ違い・軋轢です。あのビッグバンド「オフコース」でさえ、僕が最初に聴いていた頃は「二人組」、おしゃれにいいますと「デュエット」でした。なお「デュエット」がおしゃれかどうかは年代によって感じ方が違うと思いますので何卒ご容赦ください。

それはさておき、「オフコース」は「二人組」から「バンド」になったあと、ヒット曲を連発するのですが、その作詞作曲は「小田和正さん」オンリーになっていました。そうなりますと、やはり元々コンビを組んでいた相方さんはバンドから離れて行くことになります。当人である鈴木さんが関西の番組で本音をぶっちゃけていました。しかし、こうした感情は人間の性ですので仕方ありません。誰も責めることはできない代物です。

チャゲ飛鳥の「仲たがい」が露わになったのは、飛鳥さんが覚せい剤で逮捕されたときでしょうか。僕が印象に残っている映像は、「飛鳥さん逮捕」が報じられたあとに、ある番組に出演していたチャゲさんのコメントでした。突き放したような叱責した発言からは、一緒に活動してきた相手に対する思いやりが微塵も感じられませんでした。

それに比べて、同じ覚せい剤で逮捕された電気グルーヴのピエール瀧さんに対する石野卓球さんの暖かいすべてを包み込むような愛情が印象的でした。この二人のなんと違うことよ!やはり、本当に仲がよいふたりは、相手がどんな悪い境遇になろうとも、手を差し伸べるのです。

結婚式で、神父さんに言われますよね。「健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも」って。これには「逮捕」も入っていてよいのではないでしょうか。味方は、一生味方でいなくっちゃ。それを破ったことになるチャゲさんの対応でした。二人の絆はこのときに切れたのです。…たぶん。

ということで、僕はこの歌を聴くたびに「二人の絆」が頭に思い浮かぶのでした。ちなみに、僕はずっと長い間、タイトルを「狂い咲き」と勘違いしていました。人を愛するときって「狂おしく」なるくらい心が燃え上がりますよねぇ。だから。

僕、熱情的なんだ。それでは、また来週。

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