「悪女」

中島みゆき
1975年11月16日の『第6回世界歌謡祭』にてグランプリを受賞。同年にシングルが発売され、20万枚のヒット。

今の若い人ですと「糸」が一番わかりやすいでしょうか。「悪女」は中島みゆきさんの70年代のヒット曲です。中島さんのデビューは、ちょうど僕の学生時代と重なるのですが、今回このエッセイを書くにあたり調べていたところ、自分が勘違いをしていることがわかりました。

 

悪女の歌詞には、暇で時間を持て余している主人公の行動が書いてあるのですが、その中に

 

♪土曜でなけりゃ 映画も早い
♪ホテルのロビーも いつまでいられるわけもなし

 

とあります。僕はこの歌について調べる今の今まで、「この歌を深夜に友だちと喫茶店で聴いていた」とずっと思っていました。ところが、この歌の発売は僕が大学を卒業し社会人になったあとだったのです。つまり、学生時代に深夜の喫茶店でこの歌を聴くことはできなかったはずなのです。それにもかかわらず、僕はずっと深夜に喫茶店でこの歌を聴いていたと思い込んでいました。

 

なぜ勘違いをしていたかといいますと、実に単純で恥ずかしいのですが、先ほど紹介しました「歌詞の」せいです。歌詞をそのまま自分の行動と結び付けていたのです。中島さんの歌発表年次に合わせますと、僕が深夜に喫茶店で聴いていたのは「悪女」ではなく「わかれうた」だと思われます。年次的にはその歌が一番合致します。

 

“勘違いついで”といってはなんですが、中島さんについての僕の頭の中に残ってある記憶を書きたいと思います。

 

中島さんは一般の人がプロになるための登竜門というべきポプコンという音楽祭で優勝してデビューしています。なにかで読んだのですが、中島さんは音楽祭に応募する前に主催者側に「歌に順番をつけるのは間違っている」と手紙を書いたそうです。それに対して主催者側が「中島さんが納得できるようなきちんとした返答」をしたことで出場を決めたそうです。結局、優勝したのですが、中島さんの生真面目さが伝わるエピソードです。

 

もし、記憶違いでしたら申し訳ありません。

 

それはともかく…、年代の記憶違いとはいえ、「悪女」が僕の最も好きな歌のひとつであることには変わりはありません。この歌のなにが心に刺さったかといいますと、まずは出だしの♪タンタタンタタンのメロディーです。この出だしを聴いただけで気持ちが高まります。

 

歌詞の全体像を説明しますと、彼氏と別れる話がテーマなのですが、自分が悪女になることによって、彼氏が自分よりもふさわしい彼女に惹かれるように仕向ける内容になっています。なので「悪女」なのですが、実は「悪女」は彼氏思いの「心優しき女性」なのです。

 

こういう人知れず他者のために行動している女性には感動します。ですので、この歌はシングルでチャート1位にも輝いています。曲の勘違いではありましたが、僕が学生時代に中島さんの歌を好んで聴いていたのは事実です。学生時代、深夜の喫茶店で中島さんの歌声をよく聴いていたものです。

 

僕の学生時代は深夜、といいますか、24時間営業をしている喫茶店は数えるくらいしかありませんでした。しかも、夜の10時か11時を過ぎますと、値段があがるのです。10%とか20%というお話ではありません。3~4倍くらい値上がりするのです。300円のコーヒーが深夜になりますと、1500円とか2000円くらいになるのです。そういう時代でした。

 

こう書きながら、曲名を間違えた前科もありますので記憶違いの可能性もなきにあらずですが…。

 

値段の上がり具合はともかく、深夜の値段が上がったのは間違いません。そのような時代に友だちとただただ喫茶店でおしゃべりをしていたのです。なんと呑気な人生を送っていたことでしょう。

 

呑気といいますと、学生時代に僕が一番時間を費やしていたのは麻雀でした。これまでのコラムでも書いていますが、高校時代にクラブ活動に明け暮れ、それ以外の活動をしたことがありません。土日もクラブ、春休み夏休みもクラブ活動でした。まぁ、運動少年の僕としてはそうした生活が嫌いではありませんでしたが…。

 

反対に言いますと、もしクラブ活動をしていなかったなら、僕の高校生活はどんなふうになっていたのかと恐怖に思うこともあります。その意味においては、運がよかったと感謝しています。

 

なにに感謝かといいますと、僕を強引にクラブ活動に誘ってくれた一年先輩のヒロセさんにです。これも大分昔、コラムにも書きましたが、僕は一度クラブ活動を辞めています。理由は、一緒に入部した一番親しかった友だちが辞めたいといったからですが、そのクラブはとても厳しい練習だったので、それが嫌だったようです。

 

僕もそのクラブにそれほど強い思い入れがあったわけではありませんでしたので、友だちに合わせるように練習に行かなくなりました。そんなときに、たまたま学食でヒロセ先輩に会い、半ば強引にその日の練習から参加させられるようになりました。

 

おそらく僕の中でも身体を動かすことへの渇望が高まっていたのだと思います。仲の良かった友だちと練習をさぼっていたときは、やることがなにもなくただ友だちとおしゃべりをしたり出歩いたりするだけだったのをつまらなく感じていた頃でした。

 

あれから50年近く経とうとしていますが、たまにヒロセ先輩について思い出すことがあります。それほどあの学食でのヒロセ先輩との偶然の出会いは、僕にとっての大きなターニングポイントでした。

 

あれだけ厳しい練習をしていた高校時代があったからこその、大学時代のチャランポランの生活だったと思っています。そのチャランポランを思い出せてくれる中島みゆきさんの歌声でした。

 

また、次回。

 

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