丘の上の愛

1980年発表のアルバム「HOME BOUND」収録曲

 

このなんとも少女漫画を思わせるタイトルが乙女チックです。これは以前コラムに書いたことがあるのですが、歌詞のサビに

♪愛が買えるなら その涙の理由を教えて
♪愛が買えるなら ため息の理由を聞かせて

とあるのですが、この「買える」のところのメロディーが長くて、ついつい僕には、ファンの方々には顰蹙を買うでしょうが、「買える」のところで「カエル」が連想され、「ゲロゲロ」という合いの手を入れたくなってしまいます。「愛が買えるなら」を「愛がカエルなら」と連想するのですが、これがまた、ちょうどよい感じで合いの手が入れやすいメロディーになっています。

 

そんなことはともかく、これほど純愛を歌った歌はありません。浜田さんの歌すべてに思うことですが、歌詞のストーリー性が秀逸です。冒頭でタイトルが乙女チックと書きましたが、歌詞の展開も少女マンガそのものです。僕の頭の中では池田理代子さんの「ベルサイユのばら」のイラストが勝手に広がっています。

 

歌詞を簡潔に紹介しますと、いつも着飾って承認欲求の塊のような人生を送っている女性が愛した男性は貧乏な学生でした。しかし、セレブな人生を望んでいた女性はその学生を捨て、お金持ちの男性との結婚を決断します。歌詞にある「丘の上」とは「丘の上にそびえ建つお城」のことで「セレブ」を象徴しています。

 

しかし、結婚生活を送るうちに「涙」があふれるようになり、「ため息」をつくようになります。

♪夜毎冷たいベットで夢見る
♪丘を駆け降りてく夢

お金に目にくらんだ自分自身を嘆いています。「丘を駆け降りてく夢」。つまり、「セレブな生活」よりも「純粋な愛」に目覚めたことを指しているのですが、身につまされる女性も多いのではないでしょうか。

 

でも「愛」だけじゃぁ、日々の生活を続けられないのも事実です。現実問題として、お金も必要です。僕の妻も日々おっしゃっておりますが、食べるものもなけりゃ「愛もへったくれ」もあったもんじゃありゃしやせん。最低限のお金の問題がクリアできたなら、次に問題になるのは価値観です。

 

それを教えているのが「花束みたいな恋をした」でしょうか。学生のような気楽な人生を謳歌しているときは、楽しい生活を遅れていたのですが、社会人になるに従い価値観が変化していきます。

 

結婚生活って「愛の暮らし」ではなく「日々の暮らし」なんですね。多くの人がそれに気づかずに結婚してしまいます。若いのですから当然です。そんなカップルが30年以上続いているとしたら、それは偶然の賜物でしかありません。もし、あなたの周りに長い結婚を続けていて、自らの慧眼を自慢している人がいたなら、その人は勘違いしていると思っていただいて構いません。それほど人間は全知全能な存在ではありません。

 

この歌を知ったのは、先週紹介しました「もう一つの土曜日」をネットで見ていたときにレコメンドされたからです。実は、ここから僕は浜田さんのいろいろな歌を知っていくことになるのですが、これらの歌のほとんどが発表されてから20年どころか、中には40年経っている歌の数々でした。僕がこれらの歌に出会えたのもネットというITの進歩があったからです。

 

インターネットの力ってすごいですよね。来週も浜田さんの歌にしようかなって思っていますが、しばらくおつき合いください。

 

また、次回。

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