二十歳のめぐり逢い

シグナル(フォークグループ)1975年9月21日発売
作詞・作曲:田村功夫

この歌はフォークが若者の心を掴んでいた頃にヒットした曲で、好景気とかバブルとかそのような社会にめぐり会う前の若者に支持されていました。本来ののフォークソング全盛期と言いますと、この時代よりもさら数年さかのぼると思うのですが、まだフォークソングの残り香が残っていた頃ですので、このような歌詞が若者に受けていました。

実は、僕はこの頃18歳くらいで、青春真っただ中にいたのですが、どちらかと言いますと貧乏くさくて暗い青春が本当の青春と考えていたたように思います。マンガでは「同棲時代」のような若者の挫折をテーマにした劇画的なものがヒットしていたように思います。

この歌を聴くと必ずセットで思い出すのがジュリーこと沢田研二さんが歌っていた「時の過ぎゆくままに」です。なぜ「セット」になるかと言いますと、この2つの歌詞が正反対のことを歌っているからです。

「二十歳のめぐり逢い」の歌詞には
♪手首の傷は消えないけれど
♪心の痛みは僕がいやしてあげる

とあるのですが、「時の過ぎゆくままに」には
♪からだの傷ならなおせるけれど
♪心の痛手はいやせはしない

と歌っています。全く正反対のことを歌っているのですが、

「いったい本当はどっちなんだ!」と

青春真っただ中の僕が戸惑ったのもわかっていただけると思います。六十半ばになった今では「どちらも正解」と思っていますが、若い頃はどちらかに決めないと優柔不断な男のように思えて悩んでいました。(笑)

今この2つの歌詞を読んでいて「へぇ~、すごいな」と思ったことがあるのですが、それは「いやす」という言葉を使っていることです。「いやし(癒し)」という言葉が社会で使われるようになったのは、僕の記憶では2011年の東日本大震災のあとからだと思います。その30年以上前にすでにこの言葉を使っていたことに作詞家の凄さを感じました。

下田逸郎さんの歌については以前このコラムで紹介したことがありますが、その下田さんには「月のあかり」というバラードがあります。歌っているのは桑名正博さんですが、心を揺さぶられる名曲です。その歌詞の中に

♪お前のしぐさの ひとつひとつが
♪どれだけこの俺 救ってくれたか

とあるのですが、もし今の時代に合わせるなら「救ってくれたか」よりは「癒してくれたか」のほうが時代に似合っているように思います。それはともかく、「二十歳のめぐり逢い」では

♪手首の傷は消えないけれど
♪心の痛みは僕がいやしてあげる

です。当時、「こんな恋愛がしたいなぁ」と思っていましたが、人生は思い通りにいかないのが普通です。恋愛なんて、時間とともに薄れていくものさ、と達観したのは結婚して3年を過ぎた頃でしょうか。

そんなときにYouTubeで見つけたのが同じ頃にヒットしていた鈴木一平さんの「水鏡」という歌です。この方はヤマハポプコン出身なのですが、澄んだ声で可憐な歌詞が心に中に染み入ってきます。

♪私だけの貴方にはなってくれるはずがない
♪心のぬくもりも今は

本当の恋愛は「片思い」が理想なのかもしれません。

それでは、また。

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