村木賢吉さんが1972年に発売した演歌
作詞作曲:佐義達雄
当初、シングルを500枚自主制作した。それから6年後の1978年頃に、北海道釧路市で有線放送から人気に火が付き、数か月で全国に広がった。
1979年2月にシングルを再発売、その後翌1980年に掛けて大ヒット、ロングセラー曲となった。
(ウィキペディアより引用)
こういった経緯があるそうですので、僕が知ったのは1980年頃でしょうか。おぼろげながらの記憶では当時、TBSで放送されていた「ザ・ベストテン」という歌番組で知ったように思います。この番組では演歌の方もたくさん出演していたのですが、一番記憶に残っているのは、なぜかタンスを肩にかついだまま大ヒット曲「さざんかの宿」を歌っていた大川栄策さんです。確か、タンス職人の経験があったということでこのような歌い方になったのだと思いますが、なかなか素晴らしい発想です。
次に覚えているのは、なぜかふんどし姿で「みちのくひとり旅」を熱唱していた山本譲二さんです。いったい誰が「みちのくひとり旅」とふんどしを連想するのでしょう。あの引き締まったおケツが忘れられません。この発想もピカイチでした。
大川さんは「さざんかの宿」が大ヒットして、一気に人気歌手の仲間入りをしたのですが、普通に考えますと、下積み生活が長く苦労の連続、と思いきや、なんと大川さんはヒット曲はなくとも営業で全国を回り、そこそこアルバムも売れていたそうで、「さざんかの宿」以前から、裕福な暮らしをしていたそうです。大川さんの登場で、演歌歌手の世界のシステムを知ったことなどが、思い出されます。
あ、「おやじの海」だ。
この歌の素晴らしいところは、なんと言いましてもメロディーと少しなまった口調で歌う節の回し方です。
♪海はヨ~、海はヨ~
♪でっかい海はヨ~
ねぇ、素敵でしょ。
♪右にてぐすを 左で ろこぎ
♪つらい漁師に たえて来た
情景が思い浮かぶじゃあーりませんか!
年をとると思うのですが、やっぱり、日本人は演歌だよなぁ、って思わせる名曲です。
それでは、次回。