最後の言い訳

1988年10月25日に発売された徳永英明さんの6枚目のシングル。
作詞:麻生圭子 作曲:徳永英明 編曲:瀬尾一三

この歌は出だしの「♪タン、タタタタ~ン、タンタタタター タタタタタタター」と聴いただけですぐにわかる名曲です。いやぁ、下手ながら家族で行ったカラオケでよく歌ったものです。今回コラムを書くにあたって知ったのですが、関西のテレビ局のドラマの主題歌だったそうです。僕が知ったのは音楽番組でしょうか。覚えたきっかけはほとんど記憶にありませんが、とにかく「いい歌」として覚えている歌です。

僕の妻は変わり者ですので、徳永さんのような整った顔のイケメンの人はあまり好きではありません。ですので、「顔を見ないで聴く分にはとてもいい歌」といつも話しています。僕が徳永さんで一番記憶に残っているのはデビューしてから十数年経った頃のことです。

デビュー当時は人気もあり、ヒット曲もたくさんありましのたでいろいろな番組で見かけていました。ですが、どんなアーティストでもそうですが、ピークを過ぎますとやはり落ち込みと言いますか、低調と言いますか、言い方はともかくマスコミなどで見る機会が少なくなってきます。そうした時期にたまたま芸能人の納税額ランキングを発表している記事を読んだのですが、なんとその上位に徳永さんの名前があったのです。

こう言っては失礼ですが、ヒット曲があったわけでもなくマスコミなどで活躍が報じられるでもない時期でしたので、とても不思議でした。その理由がわかったのはランキング発表から少しばかり経ったころでしたが、納税ランキングの上位に入っていた理由は韓国で徳永さんの歌が大ヒットしていたからでした。

当時、韓国と日本は交流が禁止されていましたので、日本の楽曲を流すことができませんでした。それを狙ってといいますか、そういう環境の中、ある韓国の男性歌手が徳永さんの歌をカバーして発表していました。歌詞は韓国語ですが、メロディーは徳永さんのものです。ですので、その印税がすごかったのでした。昔タモリさんが「夢のような印税収入」と語っていたことがありましたが、まさに徳永さんはその「夢の印税収入」で高額納税者に名を連ねていたのでした。印税って、本当にいいですね。

おそらく当時の韓国では日本でヒットした楽曲を韓国語に変えて発売していた例がたくさんあったのではないでしょうか。そうした過去を思うとき、現在のBTSをはじめとした多くのアーチストの活躍は夢のようです。韓国は面積も狭いですし、人口も日本の半分くらいですので市場的には小規模です。ですので、海外に打って出るのは当然の挑戦ですが、成功するのは簡単ではありません。かつては、日本に出て成功するのが目標でしたが、現在は日本どころか世界に打って出るのがごく普通の発想になっています。日本はいつしか完全に追い抜かれています。

そんな心配より徳永英明さんです。徳永さんが一時の低迷を経た後、復活したのは女性ミュージシャンや女性がヴォーカルを務めるバンドの楽曲だけを歌った「ボーカリスト」というアルバムを出したのがきっかけのように思います。僕の記憶では、「もやもや病」という不思議な病気と闘っているという記事を読んだことがありましたが、なにもしていなくてもほかの人が歌ってくれているのでガバガバと印税が入っていくるのですから、「歌など歌わなくてもいいものを」と思うのは、僕が凡人であることの証明です。

徳永さんはデビューしたばかりのころ、プロデューサーと対立してレコーディングをやめたことがあるそうですが、対立した原因は自分の考えている歌い方とプロデューサーのそれとが違っていたからです。もっと深く原因を探るなら、徳永さんが自ら作詞作曲していることにあるのではないでしょうか。これは後年、徳永さん自身がインタビューで語っていましたが、「若さゆえの傲慢さ」という表現も使っていました。

歌に対するそれだけのこだわりというか強い思い入れを持っている徳永さんが、他人の歌をカバーするという発想が、「ボーカリスト」というアルバムの魅力です。おそらく若い頃でしたら、他人の歌を歌う、カバーするなどプライドが許さなかったように思います。いろいろな経験をして、辛い思いもしてこそのアルバム「ボーカリスト」です。

徳永さんの「ボーカリスト」のヒットに続けとばかりに、歌唱力に定評のある方がその後同じようなコンセプトで「カバー曲」を発表していますが、僕からしますとやはり「二番煎じ」の印象はぬぐえません。

徳永さんは基本的には「作詞も作曲も」自ら作っていますが、「最後の言い訳」の作詞は麻生圭子さんという作詞家の方です。この作詞の内容は、どことなく宇崎竜童さんの奥様である阿木燿子さんを彷彿させますが、魅力的です。

♪誰からも君なら好かれると思う
♪心配はいらない 寂しいよ
♪無理に僕のためだと さよならの理由
♪思ってるきみだから せつなくて

素敵な歌詞ではあるのですが、穿った読み方をするなら「無理に僕のため」というのはどうもいただけませんな。突き詰めるなら、「別れたい」のは自分なのに「相手のため」とごまかしているのですから、卑怯者と思えなくもありません。僕がこの男性にアドバイスをするなら、「こんなズルい女なんかいなくなったほうがせいせいするぜ」ですね。こんなずる賢そうな、計算高そうな女と結婚して、楽しい結婚生活が送れるわけはありません。

あっ……、妻がこのコラムを読みませんように…。

それではまた。

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