夕陽を追いかけて

1978年6月20日に発売された「チューリップ」の通算14枚目のシングル。
作詞作曲:財津和夫(チューリップのリーダー)

この歌を知ったのは大学を卒業する直前の頃でした。なにをきっかけに知ったのかは全く覚えていませんが、ただ一つ覚えているのはこの歌を聴いていた時期と、聴いていたときの光景です。この歌をただひたすら聴いていたのは、就職が決まっていたスーパーに卒業までの間で時間があるときにアルバイトをしていた店舗での売り場でした。

3階建てビルの3階にあった日用雑貨の売り場です。バイトでしたので大したことをさせられることもなく、そもそも内定をもらっていた身分ですので企業としても「内定縛り」の意味合いもあったのかもしれません。それはともかく、階段脇のスペースに作られていた雑貨の売り場で販売をしているときでした。当時は、今とは違い販売のバイトはお客さんが来ないとただ立っているだけでよく、暇を持て余していました。恥ずかしながら、まだ学生気分が抜けきらずチャラチャラしていた時期です。

このような不埒な心構えで仕事に取り組んでいましたので、お客さんが来ないとやることがありません。ただボーッと立っていたときに後ろのほうから歌が聞こえてきました。そちらのほうを見ますと、平台の下にラジカセが置いてあり、そこからこの歌「夕陽を追いかけて」が流れてきていました。

おそらく今の時代ではありえないのでしょうが、当時は売り場で商品とは関係のない歌が流れていることも珍しくはありませんでした。今の常識からしますと、売り場で流れる音として許されるのは、間違ってもヒット曲などではなく売上げにつながるような、例えば「呼び込み声」とか「商品説明」などです。そうでなければ、お客さんの購買意欲を刺激するような楽曲が流れるのが普通です。しかし、当時は売り場で担当者が好みの歌を勝手に流すのも許されていました。今から思いますと、のどかな古き良き時代でした。

そのような時代でしたので、当時のヒット曲「夕陽を追いかけて」がラジカセから流れていても不思議ではありません。「当時の」と書きましたが、正確にはこの歌がヒットしたのは数年前です。僕が大学を卒業したのは1980年ですが、この歌の発売は1978年となっています。おそらく売り場の誰かが「チューリップ」のファンで、好みの歌を流していたのだと思います。

そのおかげで僕はこの歌を知ることができたのですが、メロディーが僕好みで聴いてすぐに好きになりました。昔のフォーク界・ニューミュージック界(当時はそうしたジャンルがありました)の歌は同じメロディーが繰り返されることが多かったのですが、この歌もそのパターンになっています。ですが、歌詞の内容を伝えるのには、「繰り返されている」ほうが適しているようにも思っていました。

人によっては、単調なメロディーの繰り返しですので、「飽きる」と思うこともあるかもしれません。しかし、故郷に思いを馳せている歌詞ですので、逆に「単調なメロディーの繰り返し」は故郷への愛着を感じさせる効果に変わっているように思います。

今の人からしますと、1978年と言いますと十分な過去ですので古いイメージを持つと思います。そんな「古い」時代に都会に出た若者が故郷の変化に戸惑いを感じていることに不思議な感覚を持つかもしれません。ですが、当時はもう十分に田舎と都会では「華やかさ」と「地味さ」の違いがくっきりと出ていました。

今の若い人でもおそらく知っていると思いますが、「思い出のハンカチーフ」という松本隆さん作詞の名曲も田舎(地元)と都会の違いをテーマにしています。この歌も同時期に発売されていますが、70年代後半は都会と田舎の対比が大衆の心を掴み始めていたことがわかります。

都会に出ても地元の純朴な気持ちはなくしてほしくないですよね。

それではまた。

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