1969年8月10日に発売
作詞:吉岡治/作曲:河村利夫
歌:千賀かほる
かなり古い歌ですが、それでも昭和の真ん中くらいでしょうか。僕の記憶ではフォークソングの部類に入っていますが、自分で作っているのではなく作詞や作曲の専門家が作った歌のようです。69年といいますと、70年安保がすぐに思い浮かびますので、もしかしたなら学生運動とも関連していたのかもしれません。
話は逸れますが、フォークソング界をメジャーにした吉田拓郎さんが「結婚しようよ」で大ヒットを飛ばしたのが1972年です。それまでどちらかと言いますと、フォークソングはメジャーにならずにアンダーグラウンドで活動していることが「フォークソングの価値」のような風潮があったそうです。
その証拠に、拓郎さんが「結婚しようよ」が大ヒットしたあとにフォークソングのコンサート集会に出場したとき「帰れコール」が凄まじかった、と後年拓郎さんが語っていました。フォークソングを愛する若者たちからしますとメジャーな世界に行った拓郎さんが許せなかったのかもしれません。ファンというのは難しいものです。
それはともかく、フォークソングがメジャーになる前にフォークソングふうな歌でデビューしているのですが、同年には「フランシーヌの場合」という歌もヒットしています。この歌はまさに学生運動の歌ですが、この2つが同時期にヒットしたのは当時の時代の雰囲気が関係しているように思います。
♪街のどこかに 淋しがり屋がひとり
♪いまにも泣きそうに ギターを奏いている
僕は70年代半ばに大学生になったのですが、当時興味を持ったのは「二十歳の原点」(高野悦子・著)という本でした。それまで僕は本などあまりというか、ほとんど読んだことがなかったのですが、なぜかタイトルに惹かれて読んだ記憶があります。この本は立命館大学の学生だった高野さんが自殺をするまでの心模様をつづった日記です。青春の悩みに押しつぶされて命を絶った若者の心情に感動した記憶があります。
♪愛を失くして なにかを求めて
♪さまよう 似たもの同士なので
孤独な心を歌った歌詞ですが、作詞の吉岡治さんを調べてみますと、詩人のサトウハチローさんの弟子から作詞家に転じた方でした。面白いというのも変ですが、作詞家から放送作家としても活躍しているのですが、僕がこれまで見聞きしていたのは「放送作家から作詞家へ」進出するパターンです。今の時代ですと秋元康さんが最も有名ですが、放送作家から作詞家の進出は成功階段の一つのルートになっています。吉岡さんの場合はその反対なのですが、昔はそうしたルート自体が整備されておらず、芸能活動全般という意識だったのかもしれません。
僕は、なぜかこの歌を聴きますと、中島みゆきさんが作詞作曲して、吉田拓郎さんが歌った「ファイト!」が浮かんでくるんですよね。世の中の不条理に負けないように「ファイト!」。
それでは、また。