1974年12月10日にリリースしたオリジナル・アルバム『今はまだ人生を語らず』に収録されている。
作詞:吉田拓郎
作曲:吉田拓郎
歌:吉田拓郎
先日、吉田拓郎さんとジャニーズのKinKi Kidsさんが20年くらい前にやっていた番組が一日だけ復活しました。「LOVE LOVE あいしてる」という番組ですが、復活した一番の理由は、拓郎さんが音楽活動から引退するからです。僕自身も驚いたのですが、「LOVE LOVE あいしてる」が終わってからもう20年以上も経つのですね。
妻が毎週楽しみにしていましたので、僕も観ていたのですが、拓郎さんが歯に衣着せぬ発言をするのが一つの魅力になっていました。確か、この頃は拓郎さんがいろいろな番組に出だした頃で、拓郎さん曰く「残りの人生が短くなってきたので、いろいろな人に会っておこうと思って」だそうです。
拓郎さんは他局で対談番組などもやりはじめたのですが、その番組の最初のゲストは明石家さんまさんでした。拓郎さんの初めての対談番組ということで、さんまさんが助け舟を出したような印象がありました。
KinKi Kidsは「LOVE LOVE あいしてる」で拓郎さん、または周りの人たちからギターの弾き方を教わったりしていたのですが、拓郎さんはもとよりアルフィーの坂崎さんや高見沢さん、谷村新司さん、高中正義さんなどなんとも豪華な講師陣でした。
僕がこの番組で一番記憶に残っている場面は、ゲストに谷村さんを迎えた回です。なんと唐突に拓郎さんは「俺はアリスがずっと嫌いだった(アリスは谷村さんが作っていたバンド名)」と宣うたのです。突然に嫌みを言われた谷村さんは動揺し戸惑っていたのですが、ゲストに呼ばれて、そんなネガティブなことを言われても困っちゃうーですよね。
こうした発言のように、この番組は拓郎さんのやりたい放題のような番組だったのですが、そうした雰囲気をうまく柔和させていたのが、KinKiのお二人でした。剛さんも光一さんも若いのにもかかわらず、そうした不穏な雰囲気をとっさに察し、そしてうまく流せるテクニックというか性質を持っていました。
今回の最終回でも拓郎さんはKinKiの二人に感謝の気持ちを伝えていましたが、KinKiの素晴らしさを一番わかっていたのは拓郎さん自身だったように思います。それはともかく「ペニーレインでバーボン」です。
冒頭で書きましたが、この歌が世の中に発表されたのは1974年ですが、これまでの御多分に漏れず、僕がこの歌を知ったのはつい最近です。きっかけもこれまでと同様、youtubeのおすすめ欄でした。拓郎さんの「ファイト!」や中島みゆきさん作詞作曲の「永遠の嘘をついてくれ」などをしょっちゅう聴いていたところおすすめされたのでした。
もちろん題名だけは知っていましたが、これまでは今一つ聴きたいという欲求は燃え上ってきていませんでした。それがたまたま聴く機会があり、耳にした瞬間、「どうして今まで聴かなかったのだろう」と後悔するほど好きになりました。
♪どうせ力などないのなら
♪酒の力を借りてみるのもいいさ
この歌詞のところのパンチのある歌い方とアレンジがなんともいえず素敵です。引き込まれるパンチがあります。この歌は歌詞が長いのですが、拓郎さんの作る歌は長い歌詞が多いのですね。拓郎さんの歌はメロディーに魅力を感じることが多いですが、本来の拓郎さんはメッセージ性がこもった歌詞を好んでいるように感じます。
「ペニーレイン」は原宿にあるお店だそうですが、74年頃ですでに原宿は若者に人気があったようです。僕は76年から大学生活を送っているのですが、当時の若者の“原宿詣で”はすごいものがありました。このような状況から一つ疑問が浮かびます。
「いったい原宿っていつ頃から若者の聖地になったんだろ」。
そこで調べてみますと、昨年東京オリンピックがありましたが、さらにその前の東京オリンピック、つまり1964年ですが、そのオリンピックをきっかけに原宿に若者が集まるようになったそうです。
70年代に活躍した音楽業界の人たちの記事を読みますと、拓郎さんは元より、例えば元YMOの坂本龍一さんや山下達郎さんなどの記事にも原宿界隈のお店が出てきます。すでに音楽業界の人たちのたまり場になっていたことがわかります。
それ以降も、原宿は若者の聖地であり続けているのですが、芸能人がお店を出したりやめたりなどを繰り返しながらそれでも原宿という街全体は発展し続けているのですから、堅めの言葉を使うならマーケッティングの力が優れていることになります。経営の世界には「企業30年説」という言葉があるのですが、この言葉はほとんどの企業は30年で消えていくというものです。しかし、原宿という街は優に30年を過ぎているのですから、どれほどすごいことかわかろうというものです。
個人的には、吉田拓郎さんは音楽業界では一つ頭が抜け出た伝説の存在だと思っています。ヒット曲を出す人はこれまでにもたくさんいましたが、存在そのものが魅力という人はそうはいません。拓郎さんはその一人です。その拓郎さんが音楽活動から引退するのですが、楽曲は今後もずっと生き続けることでしょう。
それでは、また。