1993年1月25日
歌:森田童子 作詞作曲:森田童子
この歌は1993年のテレビドラマ「高校教師」の挿入歌なのですが、主人公である真田広之さんが桜井幸子さん演ずる女子高生の不遇さを悲しみ涙を流す場面で流れていました。真田さんの迫真の演技とこの歌が相まって感動したのを覚えています。桜井さんが不憫で不憫でかわいそうだったのです。まだまだテレビドラマが全盛期の頃でした。
やはり「高校教師」で真っ先に思い出すのは主人公の二人ですが、それと同じくらい、いえそれ以上に思い出すのは脚本家の野島伸司さんです。この当時、野島さんはすでに押しも押されぬ売れっ子脚本家でしたが、話の内容が過激すぎていろいろと物議を醸したドラマでした。
そんな過激なドラマにピッタリの歌の数々の一つが森田童子さんの「僕たちの失敗」という歌でした。僕の手元にある音源は、あとからベスト盤として発売されたCDですが、このドラマで流れる以前、学生時代にこの歌を知っていた僕は「おお~!」と感激したのでした。
僕は学生時代、明るいキャラではありましたが、高野悦子さんの「二十歳の原点」などといった暗ゲの思想にも感化されていました。若者によくあることですが、青春の挫折こそが青春の証であるように思っていた頃で、ちょうどこの「僕たちの失敗」が心に刺さる時期を過ごしていました。それから月日が過ぎ、結婚し、子供が小学生くらいになっていた頃に、この歌がテレビから流れてきたときの感激は大きなものがありました。
森田さんは謎に包まれたシンガーソングライターだったのですが、本名も結局最後まで明かさずに引退しています。ウィキペディアによりますと、「2018年4月24日未明、心不全のため自宅で死去。66歳没」と書かれています。本名も明かさず、人生を全うしたその生きざまは森田さんの残した歌がそのまま重ね合わさるように思います。
過去の栄光が忘れられず、称賛の視線を得たいがためにマスコミに出たがる人も少なからずいますが、森田さんは最後の最後まで自分の生き方を崩しませんでした。見事というほかありません。歌を歌うという行為は、なにも有名になることが目的ではないはずです。自分の心の中にある思いを吐き出したい、それが結果的に注目を集めることになることはあります。しかし、その反対に「有名になりたいがために、歌を歌うのであればそれは本末転倒」です。そういう人の歌は、結局忘れ去られてしまうでしょう。
かつてフォーク界で神さまと言われている吉田拓郎さんが「いい歌というのは、どれだけ売れたかという枚数ではなく、どれだけ人々の記憶に残るか、で決まる」と話していました。「男のくせに泣いてくれた」も「僕たちの失敗」も、実は発売当初はさほどヒットしていません。10年後にドラマに起用され、ヒットにつながっています。こうした歌こそ、本当の名曲と言えるのではないでしょうか。もちろん、そういう歌を起用したプロデューサーのセンスも認められて当然です。昔のテレビドラマのプロデューサーにはそうした素晴らしい才能の持ち主の方々がたくさんいたように思います。
それでは、また次回。