昭和枯れすゝき

さくらと一郎のシングル。1974年(昭和49年)7月21日発売
150万枚を売り上げ、1975年オリコン年間ヒットチャート1位を記録した。
作詞:山田孝雄、作曲:むつひろし

歌詞にあるとおり、典型的な「昭和歌謡」といえます。僕が高校生の頃ですが、『時間ですよ昭和元年』でかかっていたのを覚えています。当時はテレビ番組の中でも肌の露出が見られた時代で、「時間ですよ」ではいつも決まった時間に女性のおっぱいが出てくるのが「決まり」になっていました。それが可能だったのは、この番組の設定がお風呂屋さんだったからですが、そうは言いましても無理やり女性のおっぱいを出すのですから、今からしますと、夢のような番組でした。

そんなことはともかく、歌詞はとにかく暗い、暗い。

♪貧しさに負けた いえ世間に負けた

から始まるのですから、これから先の歌詞がどんなに暗くなるかわかろうというものです。ウィキペディアによりますと、この歌を出した当初は全く売れていなかったそうです。ですが、「時間ですよ」の中で挿入歌として使われたことがきっかけで大爆発したそうです。

僕もおぼろげながら覚えていますが、小さな飲み屋さんで落ちぶれた感じの男女がただただお酒をちびちび飲んでいた画面がせつなさを表していました。これだけ暗い歌がヒットするというのは、おそらく当時は景気的にも今一つだったのかもしれません。

オイルショックで世界的な不景気が起こったのが1972年ですから、それから3年後ということはまだ景気が回復していないはずですので世の中暗かったのでしょうねぇ。子供だった僕にはそこまでわかりませんでしたが、そんな気がします。

ネットでこの歌を調べたところ、レコードジャケットが「いかにも昭和風情」といった感じでよかったのですが、最初は「同棲時代」を描いた上村一夫かと思ったのですが、実際は橋本治さんでした。

僕の中で橋本治さんといいますと、「桃尻娘」という小説が思い出されるのですが、バイトで知り合った先輩がこの本の面白さをよく話していました。僕は本をほとんど読まない学生だったのですが、その先輩は早稲田の政経というかなり頭がよい人でしたのアパートの部屋には本がたくさん並んでいました。僕は暇ができたらよく卓球をしに遊びに行っていたものです。

そうした経緯がありましたので、橋本治さんは小説を書いているだけの人かと思っていたのですが、なんとイラストレーターとしても活躍していたのには驚きました。昔から頭のいい人というのは多才だったようです。僕はたまに「note」という素人の投稿サイトに投稿しているのですが、そこは分野にかかわらずクリエイティブな仕事を目指している人が集まるサイトなのですが、イラストレーターの人って多いんですよね。

イラストレーターから漫画家さんになった方も多いのですが、素人の僕からしますと絵が描ければいろいろな職業に就けそうに思うのですが、素人だから思うことなのでしょうか。僕は今動画を投稿しているのですが、絵が描けるようになるとは全く思わないので、絵が描けなくても漫画を描いたり、動画を作成する方法を手探っています。

なので、「昭和枯れすゝき」が歌っている貧しい生活ぶりには共感できるものがたくさんあるのですよねぇ。

それでは、また。

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