真夏の果実

サザンオールスターズ
1990年7月25日に発売

この歌はサザンの中でもベスト3に入る歌ですが、僕の年代ではダントツで1位なのではないでしょうか。僕はサザンと同年代ですので、サザンが世の中に出てきたときと僕の青春はガッチリ重なります。忘れもしません!初めてTBSの「ザ・ベストテン」に出演したときの「勝手にシンドバッド」の衝撃!あんな早口、どうやって歌うの?と思ったものです。

僕が勝手に思っているのですが、サザンがビッグバンドになれたのは、この歌がヒットして、その次の「気分しだいで責めないで」も同じ系統の歌を続けたのですが、3曲目にバラード調の「いとしのエリー」を持ってきたことだと思っています。

なにかの記事で読んだのですが、レコード会社側はそれまでの歌と同じ系統の歌を要望してきたそうですが、それを押し返しての「いとしのエリー」でした。もし、前作2曲と同じ調子の歌ばかりを続けていたなら、長期的にはわかりませんが、短期的には人気が続かず消えていたのではないでしょうか。そんな気がします。

いとしのエリー」はTBSの「ふぞろいの林檎たち」というドラマの主題歌にもなっています。「いとしのエリー」の発売は79年で、「ふぞろいの林檎たち」は83年の放映で、4年もあとの主題歌起用でしたが、このドラマにピッタリはまる歌でした。当時は、「ドラマのTBS」と言われていましたが、TBSの真骨頂の発揮といったところでしょうか。当時の波に乗っている勢いを感じさせるドラマでした。

ふぞろいの林檎たち」は山田太一さんが脚本を書いていますが、当初は東大生の青春を書くつもりだったそうです。ですが、学生にいろいろとインタビューをしていくうちに三流大学生の気持ちを描く方向に話が展開していったそうです。結局、それが若者の気持ちを捉えたのですが、普通に考えますと、若者のほとんどは東大卒ではなく、平凡な学生の方が圧倒的に多いのですから、当然といえば当然といえそうです。ちなみに、山田さんは東大卒の方でした。

それはともかく、3曲目の「いとしのエリー」が大ヒットしたことでその後のビッグバンドへの道が開け、その成功が映画監督への道を切り開きました。桑田さん初監督の映画は「稲村ジェーン」という作品で、その主題歌が「真夏の果実」というわけです。映画も歌も大ヒットしたのですが、実は映画のほうは興行的には成功だったにもかかわらず、作品的には専門家から批判を受けました。

僕の個人的な感想を言いますと、作品的にもよかったと思っているのですが、専門家のみなさんからしますと、不満だったようです。これも僕の勝手な想像ですが、映画業界はとても職人的な気質の人が多いので、専門外の人が軽々しく映画に参入してくるのが許せなかったのではないでしょうか。僕はそんな感じがしています。

実は、同じころに作詞家・プロデューサーとしても大成功を収めていた秋元康さんも映画監督に進出しているのですが、桑田さん同様、作品を批判されていました。こうした事例を見ていますので、僕には映画業界独特の雰囲気があるように思います。

ただ一人例外なのは、ビートたけしさんこと北野武さんです。北野さんだけは、映画業界の人にも認められているのですが、北野さんの場合は特殊で、そもそも北野さんを監督に抜擢したのは松竹の大物プロデューサーでした。そうした後ろ盾がいましたので、映画業界でも受け入れられたと思っています。もちろん、「ソラチネ」という素晴らしい映画を作ったことも大きいとは思いますが、「ソラチネ」にしても、興行的には今一つだったのが、実際のところです。

僕が「稲村ジェーン」を観て感じたのは、50年~60年代のアメリカでした。今の若い人からすると不思議に思うかもしれませんが、僕の青春時代は70年代後半ですが、その頃に僕たち若者は50年~60年代のアメリカに憧れていたのです。ですので、僕がおしゃれの参考にしたのは、当時ハリウッドで人気のあったジュームズ・ディーンさんでした。

おそらく桑田さんが意識していたのも50年~60年代のアメリカだったと思います。映画のポスターに描かれている軽トラックなど、まさにアメリカを象徴しているように感じます。また、桑田さん自身が湘南で育っていますので、そのこと自体も影響しているのは間違いありません。

その映画にピッタリはまるのが「真夏の果実」です。フォークソングの重鎮であるよしだたくろうさんは、歌は「記録よりも記憶に残る」作品のほうが名曲だと語っていましたが、「真夏の果実」はまさにいつになっても記憶から消えることはないでしょう。名曲中の名曲に入ることは間違いありません。

それでは、また。

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