1972.12.21 リリース
作詞:岡本おさみ
作曲:吉田拓郎
ウィキペディアによりますと、70年代に活躍したフォークグループですが、吉田拓郎さんがプロデュースをしていたそうで、だから作曲が吉田さんだったのですね。吉田さんが絡んでいたのをおぼろげな記憶で残っていましたが、プロデュースまでしていたのは知りませんでした。
この歌が好きだったのは僕自身が高校時代地下鉄で通学していたからですが、確かに社内はうるさかったです。
♪もっと大きな声でもっと大きな声で
♪走り出すまでの
♪あのわずかな静けさに話そうか
は乗車したことがない人でないと思いつかない発想です。
♪車輪の悲鳴が何もかも
♪こなごなに断ち切ってしまう
そうなんですよねぇ。そんな社内で部活の帰りにいつも一緒に帰っていた友だちがいました。名前をS君というのですが、S君はかなりの不良で頭はリーゼント、いつもしかめっ面をして歩いていました。もちろん肩をいからせて…。
僕からしますと、その姿勢は「だれか喧嘩をうってこないかな」といつも頭の中で考えているような戦闘的な外見に見えました。ある日、S君と地下鉄の入り口に入ろうとしていると、突然脇から学ランのツッパリふうの学生があらわれました。そして、S君の腕をつかむと入口横の空き地に引っ張っていきました。
S君がいつも待っていた「喧嘩の相手」です。
不良とはまったく縁遠い僕ですが、S君と並んで歩いていた関係上知らないふりもできません。仕方なく僕も一緒に行くことになりました。学ランさんは、身長はS君よりもかなり低いのですが、やはりそこは不良ですので迫力はあります。その学ランさんの話では、この辺りの高校を全部絞めるのが目的のようでした。
黙って聞いていたS君ですが、そこはやはり不良ですので、ただ黙って話を聞いていただけではありません。常に右手でリーゼントの頭を形を整えていました。その振る舞いが頭にきたのでしょうか、学ランさんは突然右足でS君の顔面めがけてケリを入れようとしました。S君は常に戦闘モードですので身体をうしろに逸らし、うまくそのケリをよけたのですが、僕が感心したのはその学ランさんの足の上がり方でした。
先ほども書きましたが、身長はそれほど高くないにもかかわらず、S君の顔面あたりまで十分に届くほど足をケリ上げていたからです。元ジャニーズの田原俊彦さんがよく足を上げるパフォーマンスをしていましたが、そのくらい上がっていました。
結局、その日はそれ以上揉めることもなく終わったのですが、不良も大変だなぁ、と実感した出来事でした。
それでは、以上現場から円山がお知らせしました。
また、来週。