五番街のマリー

1973年(昭和48年)10月25日に発売
作詞:阿久悠 作曲:都倉俊一
歌:ペドロ&カプリシャスの5枚目のシングル(ボーカル・高橋真梨子)

先週、「アンダルシアに憧れて」という歌を紹介しましたが、歌詞の世界は「外国映画を観ているよう」と書きました。ギャングの世界のチンピラの生きざまを描いているように思っていたからですが、この歌も同じ雰囲気を持っています。しかし、描いているのはギャングの世界ではなく、ごくごく普通に暮らしているいわゆる市井で暮らしている庶民の暮らしです。

「五番街」というタイトルからしますと、やはり米国のどこかの街を想像しますが、作詞の阿久悠さんも「アンダルシアに憧れて」を作った真島さん同様、外国映画からヒントを得たに違いない、と思っています。絶対に、日本に住んでいては思い浮かばない世界です。

♪どんなくらししているのか
♪見て来てほしい

親が子を思う気持ちです。離婚をした男性がかつて一緒に暮らしていた娘を思う気持ちでしょうか。

♪遠い昔にくらし
♪悲しい思いをさせた
♪それだけが気がかり

なんと優しい父親でしょう。さらに

♪もしも嫁に行って
♪今がとてもしあわせなら
♪寄らずにほしい

娘さんが幸せに暮らしていたなら声をかけないでほしい。なんと心優しき父親でしょう。以前読んだ絵本にこういう内容のお話がありました。

======

難破して海を漂っていた男性が遠くに見える灯台を目指して泳いでいきました。ようやっとの思いで灯台までたどりつき、疲れ切った身体灯りの見える窓から灯台の中をのぞきますと、そこには家族団らんで食事をしている一家の姿がありました。父親は楽しそうに子供たちに話しかけ、子どもたちはありったけの笑顔で応え、それを見守っている母親の姿がありました。

それを見た男性は「この家族の団らんしている雰囲気を壊したくない」との思いで、結局助けを求めることもせず、また泳いでいった、というお話です。他人の幸せを自分が声をかけることで台無しにすることがどうしてもできなかったのです。

その物語を読んだ正確な日付は全く憶えていませんが、おそらく20年くらい前でしょうか。それでも頭の中に残っているのは、この男性の無私の考え方に心打たれたからです。しかも、声をかけなかったことで灯台の中の家族はこの男性の「心優しさ」に気づくこともありません。それで、その男性はその選択をいたことに感動した僕でした。

僕はこの絵本を読んでから、「誰が見ていなくても神さまは見ているのだ」と心に誓ったのでした。

実は、この歌詞を丁寧に聞いていますと、昔「レオン」という映画があったのですが、その映画の中の主人公のレオンとレオンと12歳の少女マチルダが坂道を登ってくる映像があるのですが、最初は大人であるレオンの頭だけ、次第にマチルダの姿も少しずつ出てくる、あの映像が思い浮かんでくるのです。レオンも心優しき凄腕の殺し屋でした。

それでは、また。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする