1976年5月1日に発売
歌:内藤国雄(将棋棋士・内藤國雄)
作詞:関根浩子
作曲:弦哲也
きれいな歌声で特に高音に素人離れした伸びやかさを見せていた内藤さんが記憶に残っています。歌い手の欄にも書いていますが、内藤さんの本業は将棋の棋士なのですが、歌のうまさが評判となり歌手デビューとなったようです。聞いていて気持ちよくなる歌声でした。
発売が1976年となっていますが、その年は僕が大学に入学した年です。あまり確かな記憶はないのですが、おそらくウキウキした気分が最高潮になっていたはずです。僕は1年浪人していたのですが、勉強漬けの生活からようやっと解放されたのですから、ウキウキしていないはずがありません。
基本的に僕はあまり人づきあいが得意ではありませんでしたので、実は高校時代に親友と呼べる人がいませんでした。しかし、練習が厳しい運動部に入っていましたので、時間を持て余すことはありませんでした。もし、そのクラブ活動に入っていなかったなら、どんな悲惨な高校生活を送っていたかと恐怖を覚えることもあります。
友だちのいない僕にとっては土日も練習や試合があることは、それほど悪い環境ではありませんでした。あまり裕福な家ではありませんでしたので、自分の部屋などというのはありませんでしたのでそれこそゆったりと身体を休めるどころか身を置く場所もありませんでした。そうした僕にとって土日も家を出られるのは願ってもないことでした。そもそも身体を動かすことが大好きな高校生でしたので、その意味でもクラブ活動には感謝しています。
そんな感じの僕に始まった大学生活でしたので、勉強から解放されて自由になったとはいえ、クラブ活動もないのですから、時間を持て余すことになりそうでした。そうした中、友だちを作ることを考えましたが、これもまた一苦労です。友だち関係というのも本当に微妙で、つまるところは家庭の経済状況も絡んでくることになるからです。
単純に言いますと、お金持ちの子供は着るものも食べるものも出かける場所も興味を持つことも、僕のような貧乏人の子供とは違っているのです。高校までは公立というある程度、緩やかとはいえ経済的な平等感がありましたが、大学ともなると格差は歴然と露わになります。ですので、「友だちを作る」にしても、自分と同じような境遇の臭いを醸し出している人をかぎ分ける能力が重要になります。そんなことを感じさせる大学生活でした。
そんな時代に「おゆき」を耳にしたのですが、当時はアルバイトと麻雀に明け暮れていましたので、ほとんど家にいることはなく、ということはこの歌をテレビで見聞きすることは稀だったはずです。ですので、バイト先とか麻雀店の有線などで聴いていたと思います。
そして聞こえてきたのが
♪持って生まれた 運命まで
♪変えることなど 出来ないと
世の中には貧乏人とお金持ちの二種類の人がいることを痛感するようになっていただけにこの歌詞は心に染みこんできました。なにしろ地方から出てきて豪華な(僕からすると)マンションに住み、しかも車まで乗り回していた同級生がいたのです。驚かずにはいられませんでした。
人生に「運命」があることを知ったときに、なんと恋愛にも「運命」があると歌っていました。「そうか…、男と女の間にも」。女性とつき合ったことなどなかった僕には重い運命でした。当時「彼女ほしい病」を患っていた僕は、運命の女性というよりはもっと軽くていいから「彼女ほしいなぁ」と漠然と思っていたのでした。
♪少しおくれて 歩く癖
♪それを叱って 抱き寄せた
いやぁ~、昭和ですねぇ。昔のことわざに「三尺下がって師の影を踏まず」という言葉がありますが、辞書によりますと、「弟子が師のお供して歩くとき、三尺離れて師の影を踏まないようにすること。弟子は師を尊んで敬い、常に礼儀を失わないようにしなければならない、という戒め」という意味だそうです。
このことわざを当てはめたように歌詞になっていますが、ということはつまり、「女性は男性を師として敬う」ことが普通の感覚としてあったことになります。男尊女卑の最たる発想ですが、今の時代にはそぐわないのは言うまでもありません。しかし、歌詞の主人公はそうした女性の気持ちを愛おしく思い「抱き寄せて」いるのですね。なんとやさしい男性でしょう。
しかし、歌の歌詞ではそのような従順な女性を描いていますが、当時でも既に実際の庶民の生活では、従順な女性も3年、いやいや2年もすれば夫を男とも思わない豪傑な性格に変貌するのが一般的です。
重ねて書きますが、そのような豪傑に変貌する女性は「一般的」なのであって、僕個人の体験ではありません。
それでは、また。