1975年10月10日に発売
作詞/作曲 : 小椋佳 編曲:チト河内
唄 : 中村雅俊
今の60代の方々のバイブル的なテレビドラマの主題歌です。僕の年代は「モラトリアム世代」と言われていたのですが、そうした時代を〇〇するようなドラマで、そのドラマの主題に沿った歌になっています。
「俺たちの旅」とは、社会に従属するのではなく。自分の人生を生きるというのがテーマなのですが、今ふうな言い方をするなら「自分探しの旅」といったところでしょうか。30~40年前の若者も社会に対する抵抗感を持っていたことになります。
僕が中学生あたりの中年のオジさんたちはJパンを穿いていませんでした。オジサンたちでもJパンを穿くようになったのは、僕より10年くらい年長の方々のオジサンたちからです。いわゆる「全共闘世代」とか「団塊の世代」と言われる年代ですが、この年代の方々の登場でオジサンのイメージが年寄りから一気に若返った感じがしています。もちろん個人差はありますが、全体的には年寄り臭くなくなったのは間違いありません。
「俺たちの旅」がはじまった当時、僕はいろいろな事情で浪人生活を送っていました。僕の家庭は裕福な状況ではなかったうえに僕の成績も芳しくなかったのですが、それでも親の希望で進学することになっていました。そういう状況でしたので、浪人時代は夕刊だけですが新聞配達をしていました。ところが、これから受験勉強も佳境に入るという8月に盲腸で1ヵ月以上入院することになってしまいました。元々の成績がよくないうえに、1ヵ月以上受験勉強から遠ざかざるを得ない状況に焦りを感じないはずがありません。そうしたときにはじまったテレビドラマでしたので、とても印象深く憶えています。
退院後は朝から晩まで勉強漬けでしたので、日曜夜8時からはじまる青春ドラマは僕の目標にもなっていました。「合格してこのドラマのような学生生活を送ってやるぞ!」とモチベーションを高めるきっかけにしていました。
このドラマの数年後に「ふぞろいの林檎たち」とか「青が散る」という青春ドラマがはじまるのですが、これらに共通するのは「三流大学に通っている」という設定です。「ふぞろいの林檎たち」の脚本を書いた山田太一さんの本を読んだことがありますが、山田さんは当初、東大とか一流大学の学生のドラマを書く予定で取材をしていたそうです。ですが、たまたま三流大学に通っている学生の話を聞く機会があり、そのときに学歴に対するコンプレックスについて話を聞き、それがきっかけで最初の予定とは違うドラマに変えたそうです。
こうした裏話を読みますと、人間の持つコンプレックスがドラマには必要と製作している方々は考えているように想像するのですが、さらに深く考えますとといいますか、穿った見方をしますと、実はテレビ局などで働いている正社員の方々はいわゆる一流大卒、それこそ東大出身者の方が多いのですが、そうした事実も本人は意識しなくとも心の奥底でなにかしらのきっかけになっているように思えなくもなりません。先ほどの脚本家・山田太一さんも東大出身者です。
それはさておき、ドラマは見る人の心になにかしら訴えかけるものがなければ視聴率は稼げません。先ほど紹介しました3つのドラマはどれも人気ドラマになっていきました。つまり、視聴者の心を掴んだということになりますが、それは悩んでいることが視聴者の方々の「あるある」だったからだと思っています。共感するものがなければ、誰も見ようなどとは思わないものです。
「俺たちの旅」の終わりのほうでは、社会に従順になろうとする仲間と、自分の思い通りの人生を送る主人公との仲たがいが描かれるのですが、それはまさに当時の若者の心の葛藤でもあります。学生という身分は縛られるものがなく自由そのものです。今の若者は少し違っているかもしれませんが、当時の学生は自由であることが学生の証だったのです。その証を手放すことが社会人になるための踏み絵と言えなくもありませんでした。
あれからいろいろなことを経験し、30年以上過ぎた今、この「俺たちの旅」を聴いていますと、懐かしい気持ちになります。いいか悪いかはわからないですが、「懐かしい」という気持ちを感じることも、歌の持つ長所ではないでしょうか。
そんな気がしている65才でした。それでは、また。