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ルーム・ライト (室内灯)

僕がタクシーで思い出すのは、タクシードライバー時代にキャバクラのおねえちゃんと一緒に乗り込んできた30代後半と思しきサラリーマンのことです。酔っぱらって乗ってきて、行先を告げるといきなり「ブチュブチュ」とねちっこい接吻の嵐だったのですが、バックミラー越しにイチャイチャしている光景は滑稽でもありました。 「ああ、あんなふうにはなりたくないよなぁ」と思わせるような、なんともみっともない情景が続いていました。女性のほうは「仕方なく」つき合っている…

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裸の心

僕は性格はいいのですが、音痴なので中々歌を上手に歌うことができません。ですが、僕の夢はピアノの弾き語りで歌うことです。僕とピアノ出会いはかなり古く、ラーメン店を開業して3年くらい経ったころだと記憶しています。いつも家に着くのが深夜の2時くらいだったのですが、そうした暮らしを年がら年中続けていますと、楽しいことが全くなくなります。

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夢をあきらめないで

どちらもも岡村さん作詞作曲の歌ですが、「待つわ」は片思いの切ない歌詞です。ユーミンさんにも同じような歌で「まちぶせ」という名曲がありますが、元々は三木聖子さんというアイドル系のかわいい女性が歌いましたが、小ヒットくらいでした。その5年後くらいに石川ひとみさんが歌って大ヒットしました。“かわいさ”でいったら三木さんのほうが上だと僕は思っていましたが、歌の魅力を伝えていたのは石川さんのほうだったように思います。

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朝日のあたる家 (朝日楼)

ソ連兵の傍若無人な振る舞いに困っていた日本村の村長さんは日本の女性たちをソ連兵の性暴力から守るために売春宿の設置を思い立つのですが、問題はそこで働く女性たちの確保でした。そのときに自ら名乗り出たのが元々性産業で働いていた女性たちなのですが、その役を木村佳乃さんが演じていました。以来、僕は木村さんのファンになっています。

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CLOUDY HEART(クラウディハート)

ある日、ビデオを手に取りカウンターに行きますと、レジ横に設置されているテレビ画面にバンドが演奏している映像が映しだされていました。来店者に「現在人気のあるビデオ」を紹介するために設置しているテレビです。そこに映っていたのが「BOOWY」でした。あとから知るのですが、東京ドームでの最終公演『LAST GIGS』の映像でした。その映像があまりにカッコよかったので、「このバンド、なんて言うんですか?」とお店の人に尋ね、初めて僕は「BOOWY」という名前を知ったのです。

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最後の言い訳

徳永さんはデビューしたばかりのころ、プロデューサーと対立してレコーディングをやめたことがあるそうですが、対立した原因は自分の考えている歌い方とプロデューサーのそれとが違っていたからです。もっと深く原因を探るなら、徳永さんが自ら作詞作曲していることにあるのではないでしょうか。これは後年、徳永さん自身がインタビューで語っていましたが、「若さゆえの傲慢さ」という表現も使っていました。 歌に対するそれだけのこだわりというか強い思い入れを持っている徳永さんが、他人の歌をカバーするという発想が、

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ペニーレインでバーボン

そこで調べてみますと、昨年東京オリンピックがありましたが、さらにその前の東京オリンピック、つまり1964年ですが、そのオリンピックをきっかけに原宿に若者が集まるようになったそうです。 70年代に活躍した音楽業界の人たちの記事を読みますと、拓郎さんは元より、例えば元YMOの坂本龍一さんや山下達郎さんなどの記事にも原宿界隈のお店が出てきます。すでに音楽業界の人たちのたまり場になっていたことがわかります。

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いちご白書をもう一度

ですから、学生デモに参加できたのも自由でいられたからにほかなりません。ですが、そうした自由がなくなると、「無精ひげや髪を切らざるを得なく」なります。しかし、本当はそれ以外の選択肢もあったはずです。就職ではなく、どこにも所属せずに働く方法です。そうした状況で就職を選択したということは、自分自身でその道を選んだことになります。そして、上司や会社の命令に従うことになんの疑問も持たなくなっていきます。多くの学生たちが…。

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喝采

ネットで「ちあきなおみ」さんを検索しますと、この「喝采」のほかには「朝日のあたる家」がよく出てくるのですが、この歌はアメリカでは昔から作者不明で知られている歌らしいです。それを日本語で歌っているのが「ちあきなおみ」さんなのですが、いろいろ調べていくうちに、アメリカでの歌詞と日本の歌詞では内容にかなり違いがあるようです。